TOP>ベイト部について
ベイト部は、2006年末、現在の部長(イニシャルF)が設立したベイトリールバスフィッシャーを対象としたブラックバス釣行会としてスタートした。部、設立当初の活動はバスフィッシングだけであったが、しだいに部として釣り全般を楽しむようになり、さらにまったく釣りに関係ないことでも部として活動するようになり現在ではさまざまな活動をしている。(詳しくは公認競技)
ベイト部は実際にはどの団体にも所属していない部である。それはつまり「○○株式会社 ○○部」とか「○○高校 ○○部」といったように団体の中に所属している集団ではなくベイト部事態が独立した団体なのである。
先ほどもいったようにベイト部はバスフィッシング以外にもさまざまな活動を行っているわけだが当サイトではバスフィッシングないし釣り全般に限定した形でサイト運営を行っていく方針です。もちろん今後ベイト部の釣り全般以外の活動もふまえた総合的かつ薄〜〜〜〜〜いサイトになるやも知れませんが管理人としても部としてもそのような予定ははないのであしからず。
アーロン・ジョンソンは1936年、アメリカロードアイランド州カンバーランドで父マイケル・ジョンソンと母テネシー・ジョンソンの長男として生まれる。漁師である父の影響を幼い頃から受けたことで魚や釣りに興味を示すようになり10歳のとき、バスフィッシングに出会う。メキメキとその才覚を発揮していったが13歳のときに父親が他界、高校に通いながら学費を稼ぐという生活が続く。その間、彼の中でバスフィッシングはやりたくてもできないのが現状、いつしか彼はバスフィッシングのことを忘れてしまった。
高校卒業と同時に彼は出版社に就職し給料の安い下働きをしていた。彼が成人した頃、彼の母が過労死してしまい、今まで母が払ってきた家賃をアーロン自身が払わなくてはいけなくなり生活は苦しくなる一方。出版社の仕事もクビになり、家も追い出された。路頭に迷っていた彼に救いの手を差し伸べたのはトム・ベイトというサーカスの団長だった。トムは路上で寝ていたアーロンをサーカスの広報として雇った。アーロンは与えられたチャンスを逃すまいと精一杯はたらいた。ひたすらチラシをはり、CMをつくり、ひたすらサーカスを宣伝した。サーカスの公演と共に移動しサーカスのテントに寝泊りした。
彼がある日、団長の部屋を掃除していると埃まみれのトロフィーが出てきた。アーロンはトムが元バスプロであることをここで始めて知ったのだ。そして、十年以上彼の中に封印されていたバスフィッシングの記憶が呼び起こされた。
アーロンはトムにバス釣りを教えてくれとたのみこんだ。その時、トムは一つだけ条件を出した。
「いつか日本でバス釣りを愛するものたちの部を作ってくれ」
何故日本なのか、そのときアーロンには解らなかったが断るわけにもいかないので承諾した。バスフィッシングの才能に恵まれていたアーロンはぐんぐんと腕を上げていった。
その後のトムとアーロンは二人の人生においてかけがえのない間柄になった。まるで親子のようにいつも一緒にいた。しかし、次第にトムは年をとりそれにあわせて体も衰えていった。自分の老い先が短いことをさとたった彼は団長を引退、アーロンに団長の座を譲った。団長を引退したトムはまるで人生をやり終えたかのように3ヵ月後、老衰で死んでいった。トム72歳、アーロン45歳のことだった。
トムの死後、アーロンはトムの苗字をミドルネームにいれアーロン・B・ジョンソンとなった。そしてトムの故郷であるイギリスにサーカスを移動し7年間トムの母国を見て回った。アメリカに戻った後もバスフィッシングを続けていた。そんなある日、彼はトムとの約束を思い出した。
「いつか日本にバス釣りを愛するものたちの部を作ってくれ」
何故日本なのか、「部」とはなんなのか。その答えを探すためアーロンは団長を引退、日本の群馬県伊勢崎市に引っ越した。が、その時すでにアーロンの体をガンが蝕んでいたのだ。すでに体中に転移していてどうしようもない、医者にそういわれたアーロンはなんとかトムとの約束を果たそうとバス釣り好きの人間を探し始める。その時であったのが現在の部長、イニシャルFだった。彼には大勢の仲間がいた。アーロンはトムのと約束をイニシャルFにゆだねた。彼はすでに自分には約束を果たす力が残っていないこと解っていたのだろう。その証拠に1週間後、アーロンは亡くなった。2006年10月、やけに空が青い秋の日だった。アーロン・B・ジョンソン。享年70歳。
彼の功績をたたえ彼のミドルネームから部の名前は付けられた。
「ベイト部。」
(この文章はフィクションであり実際の人物、団体、地名などには一切関係ありません)